浄心寺《まるやまじょうしんじ》のおかえり、毛利さまは早稲田《わせだ》、馬場下《ばばした》の願満祖師《がんまんそし》のおかえり、鍋島さまのほうは大塚本伝寺《おおつかほんでんじ》のおかえりでございました」
「外糀町口の木戸をとおったときのそれぞれのお乗物のかずは?」
「それが、つごうの悪いことに、お三家がお通りになったのが、六つぎりぎりというところ。最後の鍋島さまがお通りになったところで、太鼓が鳴って木戸がしまり、ちょうどそこへ紀州様のお乗物がついたというわけで、したがって、お三家中の乗物の数はわかりかねるんでございます」
「うむ、よろしい。……では、木戸を出たときの乗物のかずは?」
「松平さまは赤坂見附の木戸をお通りになって、これが二十六挺。毛利さまは喰違御門をお通りになって、これが同じく二十六挺。鍋島さまは赤坂御門の桝形で、これが二十四挺でございました」
「よしよし。……それで、市村座のほうはどうだった。役者で駈落ちしたようなものはいなかったか」
「ご承知のように、ゆうべは、三座の新狂言名題読《しんきょうげんなだいよ》みの日で、猿若町は上方《かみがた》役者の乗りこみで、夜っぴてひっくりかえるような騒ぎ、市村座でも、太夫元から役者、狂言方、下廻りまで全部三階にあつまって寄始《よりはじ》めの酒宴《さかもり》をしておりましたが、ひとりも欠けたものがございませんでした。……変った聞きこみといえば、十五日のおもよおしのため、紀州様から髪、衣裳、下座一式のご注文があったというくらいのものでございましたが、それとは別にちょっと妙なことを小耳にはさんだんでございます」
「ふむ?」
 千太は喜色満面のていで、
「それが、実にどうも馬鹿馬鹿しいような話なんで……」
「なんだ、早く言え」
「れいの、お祖師《そし》さまのお声というのを、はっきりと聞いたものが八九人いるんでございます」
「それが、どうした」
「だれが聞いたところでも、それが、ひどい佐賀なまりだったというんです。……ねえ、旦那、お祖師さまのご生国《しょうこく》は安房《あわ》の小湊《こみなと》、佐賀なまりのお祖師さまなんざ、ちと、おかしいでしょう」
 藤波は、眼つきを鋭くして、なにか考えこんでいたが、とつぜん、ふ、ふ、ふと驕慢に笑いだし、
「これで、すっかり、あたりがついた。……なるほど、あのしゃらく[#「しゃらく」に傍点]な閑叟侯《かんそうこう》ならこのくらいのことはなさりかねない。……お前らも知ってるだろう。斎藤派無念流の斎藤弥九郎《さいとうやくろう》、……閑叟侯が手に品をかえてせっせとお遣物《つかわしもの》をおくって、ようやくお抱えになるところまで漕ぎつけたところを、紀州さまが横あいからだんまりでさらってしまわれたことがある。……つまり、こんどはその仕返しをなさったのだ」
 と言って、日ざしを眺め、
「おお、もう辰刻《いつつ》か。あまりゆっくりかまえてもいられねえ。おれは、これからむこうへ乗りこんで行って、じゅうぶんに調べあげ、くわしく復命書《おこたえがき》をつくっておくから、朝太郎、お前、夜ふけになったら、御用部屋の窓下へ受けとりに来い。そして、夜があけたらすぐに池田さまのお屋敷におとどけするんだ、いいか。……それから、千太、おめえは加役のお役宅へ行ってそれとなくわけを話し、おれが朝の辰刻《いつつどき》になっても帰らなかったら、組頭に様子を見させによこしてくれ。……気の荒い佐賀っぽうの領地へ乗りこんで行くんだ。どうせ無事じゃアすむめえ」

   駕籠盗人《かごぬすびと》

「ねえ、組役《くみやく》、あ、あまり部屋で、見かけねえ顔だが、いままで、ど、どこにいらしたんで……」
「あっしは西の丸の新組におりやした。……へっへ、ちっとばかりしくじりをやらかしましてね。ま、よろしくお引きまわしをねげえますよ。……さア、もうひとつ」
「す、すみませんねえ。……ひッ、……もう、じゅうぶんに頂戴いたしましたよ。……ひッ、……いけねえ、そうついだって飲めません」
「なにも、そう遠慮なさることアねえ、顔つなぎだ。……もうひとつ、威勢よくやってくんねえ」
 琴平町《ことひらちょう》の天神横丁《てんじんよこちょう》。油障子に瓢箪と駒をかいて、鉄拐屋《てつかいや》と読ませる居酒屋。
 ぐずぐずになって、いまにもつぶれそうに身体を泳がしているのは薄あばたのあるお徒士《かち》か門番かというようすの男。酒をついでいるのが、藤波友衛。
 中剃《なかぞり》をひろくあけたつっこみにゆい、陸尺半纒にひやめし草履。どう見ても腹っからのお陸尺。
「ねえ、お門番。きのう、ご代参があったようだが、ありゃ、いってえ、いくつ出たんで」
「ご代参って、どちらのご代参」
「ご代参なら、大塚の本伝寺にきまってる」
「ひッ、……よく知ってら
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