相変らずはぐらかすねえ。そりゃア、五位鷺《ごいさぎ》の抜け羽でしょう。あなたには、それが天狗の羽根に見えますか」
 顎十郎は尾羽をうちかえして、とみこうみしていたが、やア、といって頭を掻き、
「こりゃあ、大しくじり。……いかにも、天狗の羽根にしてはすこし安手です。……しかし、それはそれとして、手前には、やはり、神隠しとしか解釈がつきませんな。……だいいち、これだけの乱暴を働いたとすれば、このへんの草がそうとう踏みにじられていなければならぬはずなのに、そういう形跡がない。足跡らしいものは多少みあたるが、草が倒れていないのはどうしたわけでしょう」
 藤波は油断のない面《つら》つきで、切長なひと皮眼のすみからジロジロと顎十郎を眺めながら、
「仙波さん、まア、そうとぼけないでものこってすよ。いくらひどく踏みにじられても、ひと晩はげしい霜にあったら、草がシャッキリおっ立つぐらいのこたア、あなたがご存じないはずはない。つまらぬ洒落はそのくらいにして、そろそろ代替《だいがわ》りにしていただこうじゃないか。神隠しだというお見こみなら、なにもこんなところで、マゴマゴしているこたアない。御嶽山《おやま》へ出かけて行って、大天狗《だいてんぐ》を召捕られたらどうです、あなたとはいい取組みでしょう」
 顎十郎は、大まじめにうなずき、
「いや、おだてないでください。それほどにうぬぼれてもいません。召捕るというわけにはゆきますまいが、掛けあうくらいのことは出来ましょう。……では、そろそろ出かけますかナ」
 こんな人を喰った男もすくない。本来ならば、とうの昔に癇癪を起してスッパ抜いているところだが、いつぞやの出あいで、相手の底知れぬ手練を知っているから、歯がみをしながら虫をころしていると、顎十郎はジンジンばしょりをして、両袖を突っぱり、
「や、ごめん」
 と、軽く言って、ちょうど質ながれの烏天狗のような恰好でヒョロヒョロと歩いて行ってしまった。
 ひきそっていた千太の一の乾分、だんまりの朝太郎《あさたろう》、めったに顔色も変えることがないのに、くやしがって、
「ち、畜生ッ。いつもの旦那のようでもねえ、ああまで、コケにされて……」
 と、足ずりする。藤波は見かえりもせず、ずッと乗物のそばへよると底板をかえしたり、網代を撫でたりして、テキパキとあらためはじめた。
 朝太郎は、ぬけ目のないようすで藤波のあとについて歩きながら、
「馬鹿なことをおたずねするようですが、実のところ、やはり神隠しなんでございましょうか」
 藤波は、フフンと鼻で笑って、
「神隠しなら、いっそ始末がいいが、そんな生やさしいこっちゃねえ、攫《さら》われたのだ」
「でも、どの木戸も出ちゃアおりません」
「なにを。……十三の乗物は、ちゃんと木戸を通ったはずだ。現に、ここにこうして投げだしてあるじゃねえか」
「そりゃアそうですが、番所には、それぞれ十人からのお勤番が控えております。いったい、どうしてその眼をくらましたのでしょう」
「たったひとつ方法がある。……木戸うちにいないとすれば、木戸から出たと思うほかはない。いってえ、どうしてぬけ出したのだろう。……ちょっと頭をひねると、すぐわかった。実にどうも、わけのねえことなのだ。……ゆうべは御影供《ごめいく》の当日で、ほうぼうの寺に御開帳があったから、ちょうどあの刻限には、外糀《そとこうじ》町口のあたりは、ご代参がえりの女乗物でごったがえしたはず。御正門ちかくで紀州様の行列を追いぬきながら、十三の乗物を自分らの行列にくりこむくらいのことは雑作もない」
 朝太郎は感にたえたように膝をうって、
「なるほど。そう聞きゃア、こりゃアわけもねえ」
「那智衆をご所望になっていた、いずれかのお家中が、かねてこの日をめあてにし、あらかじめ紀州さまの陸尺と手はずをしてあったのだ。……間もなく千太がやって来るが、あの刻限に赤坂青山の木戸を通った家中が知れると、神隠しのぬしは、雑作もなくわかる」
 ちょうど、そこへ千太がやって来た。草相撲《くさずもう》の前頭《まえがしら》のような恰幅《かっぷく》のいいからだをゆすりながら近づいて来て、この場のようすを眺めて、
「うわア、こりゃア、どえれえことをやらかしたもんですねえ」
 藤波はうなずいて、
「なんではあれ、紀州様のご定紋のついたお乗物をたたっこわすなんてえのは、すこし無茶すぎる。これが表むきになったら、なまやさしいこっちゃアおさまらねえ。……それはそうと、そっちの調べはどうだった」
 千太は小腰をかがめて、
「へえ、やはり、お見こみ通りでございました。……紀州様とほぼ同時刻に外糀町口をとおった女乗物は、赤坂表町の松平|安芸守《あきのかみ》さま、それに、外桜田の鍋島さまと毛利さま、このお三家でございます。……松平さまのほうは丸山
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