次郎さまの御一命にもかかわる場合、いわんやさまざまに作りごとされ、風評どおり源次郎さまが野伏乞食の児であったなどということになりましたら、いつわりの相続ねがいをさしあげたという廉《かど》により、軽くて半地《はんち》、重ければ源頼光《みなもとのよりみつ》以来の名家古河十二万五千石も嫡子ないゆえをもって、そのまま廃絶というきわどい場合、なにとぞ手前の辛苦をあわれと思召され、一日も早く源次郎さまの在所《ありか》をば……」
 顎十郎はさすがに驚いたような顔つきで、石口十兵衛の顔を見かえしながら、
「なるほど、こりゃアえらいことになっている。あなたが骨が舎利《しゃり》になっても御主家の名を口外しまいと、突っぱったのも無理はない。源次郎とやらが乞食の児であったかないか、その真実はともかくとして、こんなことが老中にでも知れたら、古河の家領《かりょう》はどっちみち無事じゃアすみません。こいつはどうも、驚いた」
 と、顎を撫でなで舌を巻いていたが、なにを思いだしたか頓狂な声で、
「それはそうと、ちょっとおうかがいしたいことがあります。そのお伝役の萩之進とやらが残して行ったという書きおきの文句は、いったいどんなことだったのです」
「はい、それが、埓もないと申せば埓もない。ただ五文字、『すさきの浜』とだけ書いてあったのでございます」
 顎十郎は、へへえといって嚥みこめぬような顔をしていたが、どうしたというのかにわかに喜色満面のていで、つづけさまに古袷の膝をたたきながら、
「わかった、わかった、なんのわけはない、そんなことなら、もうこっちのもんだ。いかに藤波が眼はしがきいたって、こういう故事《こじ》は知るまいから、とてもそこまでは探索はとどくまい」
 と、奇声を発してから、
「石口さん、はばったい口をきくようだが、源次郎さんの行方はもうこの阿古十郎が見とおしましたから、大舟に乗った気で屋敷へかえって骨やすめをしながら待っていてください。おそくとも明日の昼ごろまでには、しょっぴいて、いやさおつれ申して帰りますから」
 といって、またひとりでえへらえへら笑いながら、
「念のために申しあげておきますがね、江戸の洲崎は洲崎の浜などとは言わないんです。昔からただの洲崎、江戸の風土記《ふどき》には浜などと名のつくところはそうざらにはないんです。なんと、ご存じでしたろうか」

   首実験《くびじっけん
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