つむけ、薄い唇をひきむすんで、むッつりと坐っている。
藤波友衛、南町奉行所の控同心。捕物にかけては当代随一、どのような微妙な事件でも、袋の中のものを探すようにやすやすと解く、一種の鬼才。
ただ、狷介なのが玉に傷。むッつり不機嫌は毎度の例だが、今晩のようすはいつもとはすこしばかりちがう。眉のあいだがうす黝《ぐろ》く翳《かげ》ったようになり、まじろがぬ、刺すような眼ざしの中にも、なにか必死の色がほの見える。
甲斐守は言葉をついで、
「なににいたせ、明日にさしせまった相吟味。時刻とても、はや、いくばくもない。御飼場のかこいうちの検分、『瑞陽』の検死は、もとより明日のことにさだまっておるが、咄嗟のことでは思うような調べも出来まいから、今宵のうちに、およぶかぎりの手をつくしておかねばならぬ。……それについて、小松川鶴御飼場の図面と代地の地理に通じおるお鷹匠をひとり拝借する手はずにいたしておいた。その者にたずねれば、代のありど、かこいの数、濠割の間数、深さ。……また流れの模様もことごとく分明いたすであろう。もう、来着《らいちゃく》いたしたであろうから、さしつかえなくば、ここへ呼び入れるが……
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