が》との交通は、御飼場舟という特別の小舟で時刻をさだめて行うなど、なかなか厳重をきわめたものであった。嘉永のころになって、多少ゆるやかになったが、それでも、このころもまだ、御飼場の鶴を殺したものは死罪、傷つけたものは遠島に処せられる。
 御飼場には、だいたい、おのおの十五カ所の代《しろ》(季節によって鶴が集まる場所)があって、鳥見役という専任の役人が代地を管理し、六人の網差《あみさし》と下飼人《したがいにん》が常住《じょうじゅう》にそこにつめていて、毎日三度ずつ精米五合をまき、代地におりてきた鶴をならす。
 飼いならすのにいろいろな方法があるが、鶴がひとを見ても恐れぬようになると、鷹匠が飼場を検分したのち、そのむねを若年寄《わかどしより》に上申する。若年寄と老中《ろうちゅう》が相より協議の上、鶴御成の日時をさだめて将軍に言上するのである。
 永井播磨守と池田甲斐守が、大廊下を通って柳営《りゅうえい》の間《ま》へ行くと、老中|阿部伊勢守《あべいせのかみ》は待ちかねていたようにさしまねき、寛濶《かんかつ》に顔をほころばせながら、
「いつもながら、お役目大儀。国をあげて外事に没頭し、たれもか
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