ましたが、世が世であれば、馬まわり五百石。多端の折から、あっぱれ花も咲かすべきその身が、下司塵垢《げすじんこう》の下飼人。いやな顔ひとつ見せるどころか、かいがいしいばかりのつとめ孝養。見るにつけ思うにつけ、あまりといえば……あわれ」
 というと、草にくらいついて、せきあげて泣き出した。
 顎十郎は、ゆっくり浮木から眼を離し、
「それで、死のうとなすったか」
「は、はい。……せめて、ひとりの口なりともと存じまして……」
「……そりゃア悪い了見《りょうけん》だの、考えがちがう。……あなたを生かしておきたいばっかりに、伝四郎|氏《うじ》とやらが苦労する。それを……、それを、あなたが死んじまったんじゃア身も蓋もない。五百石とって、つき袖でそっくりかえって歩くばかりが、この世の幸福《しあわせ》じゃねえ。喰うものを喰わずとも、親子そろってその日が送られるというのは、なんにもまして有難いこと。……なんて言って見たところで、しょうがない。……よろしい、手前が、なんとかしましょう」
「なんとおっしゃいます」
「かならず、伝四郎氏の身の立つようにしてさしあげるから、安心なさい。天はしょうしょうとして誠を照
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