くだんの浪人者は、気もそぞろのふうで、のびあがり、肩で息をしながら、雪をいただいて帰る人びとを羨《うらや》ましそうに見おくっている。
 門からあふれだし、弥生町の通りを根津までギッシリと四列につづいている人数だから、たいへん。なかなか順番がやって来ない。
 それから四半刻、冷汗をかき、焦立つ胸をおさえながらジリジリと進んで行くうちに、どうやら氷室の近く。……あと四人で自分の順番がくる……。
 前のひとりが去り、またひとり。……ようやく、待ちこがれた自分の番。
 帷子の袖で汗をぬぐいながら、顫《ふる》える手で丼をさしだし、
「どうか、手前にも……」
 氷見役は、金杓子をふって、
「お雪は……もう、ない」
「な、なんと言われる」
「お雪は、いまで、みなになった」
 浪人者はクヮッと眼を見ひらいて、
「……では、もう……」
「気の毒だった」
「……ほんのひとかけらでも……」
「いや、ひとかけらもない。……今年は、特別に暑気がはげしく、おかこい氷が半分がた溶けてしまったところへ、例になくお貰いの人数が多く、氷室は、ごらんの通り土ばかり。……来年は、もうすこし早目にお出かけなさい」
「そ、
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