つは……」
「じつはも、提灯もありゃしねえ、騒いでいるのは、あなたひとりだ……みな、あの通り静かにしているじゃないか」
「……じつは、たったひとりの伜が、このほどからの時疫《じやみ》で、昼夜をわかたぬ大熱《たいねつ》。……ひと心地もないうちにも、毎年、お氷を頂戴したことをおぼえていると見えまして、四五日前から口をおかずに、お氷、お雪と囈言《うわごと》を申します。……明日は明日はと、ようやく今朝まで宥《なだ》めすかし、さきほど、間もなく、もうお氷がおあがりになるということを聞きまして、飛ぶようにして駈けつけてまいったような次第……」
 番衆はうるさがって、
「お雪がほしいのは誰もおなじこと。……子供の時疫どころか、親の死目にたったひと口なめさせたいと、きょうの明けがたから来て、待っているひともある。……親の死目の、子供の時疫のと、いちいち事情を聞いていたんじゃ、おさまりがつきやしない。……まあ、まあ、順にあげますから、列についてください」
 浪人者は、みすぼらしいほどに頭をさげ、
「……まことにもって、勝手次第、お詫びのいたしようもござらぬが、大熱の伜をたった一人にしてまいりまして、こう
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