すが、これも、チラと見かけたばかり。……あんまり、きっぱりしたことも言われねえ。……まったく、埓《らち》のねえ話で……」
「……それで、お雪盗びとはわからずじまい……」
「いや、そうじゃねえんで……。青……青……、名前は忘れましたが、なんとかいう浪人者が、南番所の藤波の手でつかまって、これがその、だいたい、そいつだろうということにきまりかけているんだそうで、へえ」
「藤波が……。それは、素早いの」
ふたりが話あっていると、眠っていると思っていた謡の隠居がモゾモゾと起きだして、
「……ええ、そのことなんでございますが……」
顎十郎は振りむいて、
「これは、ご隠居さん、眠っていらっしゃるのだと思って声もかけませんでしたが……」
六十ばかりの品のいい老人で、ひとつまみほどの白髪の髷を頭にのせている。膝行《にじ》るようにして寄って来て、
「眠るどころのだんじゃございません、さきほどから、お話をうかがっておりました」
と言って、眼をしょぼつかせ、
「……お話のようすでは、まだご存じなかったようですが、南番所へ引きあげられた浪人者というのは、あなたもご存じでしょう、いつも肩だすきで傘張に精
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