たぶん、ご存じじゃなかろうと思いますが、なにしろ相手は溶けりゃ形なしになる厄介なしろもの。……毎年の例で、こいつが西の丸の御車寄へかっきり四ツ半(午前十一時)につくのがきまりなんで。……と、言いますのは、お上《かみ》は九ツ(正午)の昼御飯で、お膳をひくと、すぐその後でお氷をおあがりになるんで、この時刻はどんなことがあっても外されない。……ですから、お氷が四ツ半きっちりに御車寄へつくにはなん刻《どき》に氷室を出して、なん刻に駕籠へのせ、門を出るのがなん刻、壱岐殿坂をくだりきるのがなん刻と、お送り役と氷見役立ちあいで袂時計《たもとどけい》を持ってお駕籠の早さを割りつけ、大袈裟にいや、氷室から西の丸の御車寄まで何千何百歩と、きっちりときまっているくらいなものなんです」
「いやはや、たいへんな威勢のもんだな」
「まったく……軍談よみの『戦記』を聞くと、武者押しというのは、一鼓三足《いっこさんそく》といって、歩度《ほど》の間尺《ましゃく》がきまっているもんだそうですが、お氷献上の駕籠ゆきは、添役《そえやく》が袂時計を見ながら、ホイと掛声をかけると、サッサ、サッサと四歩でる。……去年、壱岐殿坂のお
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