。……あまり物欲しそうにはしねえ公方《くぼう》さまが、これだけはお待ちかねで、前の月はなから、もう、あと何日で加賀の氷がくると待ちかねておいでになるというその氷。……そいつを横あいから掻《か》ッ攫《さら》ったやつがある。……大袈裟にいうわけじゃねえが、これは天下の一大事。……殿さまの恐縮もさることながら、駕籠について行った用人、氷見役一同、ことによったら腹切りもの。……相手が氷でも、これじゃ、すこし、涼しすぎましょう」
「この節は、いろいろと変った盗っとが出る。……それで、どんなやつの仕業だったんだろう」
 寅吉は、顎十郎の肩につかまって背中を流しながら、
「……話はあとさきになりますが、じつは、お雪献上の駕籠をかついで行ったのは、あっしと為のふたりなんでね、ですから……」
 顎十郎は、肩越しに寅のほうへ振りかえって、
「じゃ、お前が、お氷がさらわれる現場を見たわけだな」
 寅吉は、照れくさそうに頭へ手をやって、
「見たか、とたずねられりゃ、見たと返事をするよりしょうがねえわけなんですが、それが、どうもなんとも、ざまのねえ話なんで……」
「どうした?」
「いま、くわしくお話します……。
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