していらしたようです。……日頃、落着いた殿さまが、あんな取りつめた顔をなさるからは、なにか、よっぽどのことがあったのだろうと思いますが……」
のんきなことを言いあっているとき、部屋の上框《かみがまち》のほうで、
「ちょいと……おたずね申します」
三平は、いどころで、無精ッたらしく首だけ上框のほうへねじむけ、
「なんだ、なんだ……なにをおたずね申してえんだ。……いま手がふさがっているから、そこで大きな声で我鳴《がな》りねえ」
「こちらに、もしや、仙波先生がおいでではありませんでしょうか」
「仙波先生なら……」
顎十郎は首をふって、
「いねえと言え、いねえと言え」
上框のほうでは、その声を聞きつけて、
「そういう声は阿古十郎さん。……居留守をつかおうたって駄目です、ここまで筒ぬけですよ」
顎十郎は、額へ手をやって、
「ほい、しまった、聞えたか」
「聞えたかはないでしょう。……あっしですよ、ひょろ松です」
「うむ、ひょろ松か。……わかったらしょうがない、まあ、上れ」
大きな囲炉裏の縁をまわってこっちの部屋へやってきたのは例のひょろりの松五郎。
二升入りの角樽《つのだる》を投げだ
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