…それにしても、ただぼんやり見ているのも無聊《ぶりょう》。……さいわい手前もからす凧を持って来ましたから、この塀そとで凧あげをしましょう。……どうです、藤波さん、あなたもひとつ。……これが風をはらんで空に舞いあがって行くのを見ていると、なんとなく気宇が濶《ひら》けて愉快なものです」
 藤波は焦《いら》立って、
「あげるなら、あげるがよろしいが、さっきの話のほうはどうなるんです。……なにか、奇妙なものを見せるということだったが……」
 顎十郎はニヤリと笑って、
「ですから、これよりおもむろにご高覧《こうらん》に供《きょう》します。……せいてはことを仕損ずる。……まあまあ、手前の凧あげでも見ておいでなさい。……仙波阿古十郎、これから凧をあげます。神田小川町は凧八のからす凧、これよりとんびお迎いのていとござい」
 テンテレツク、と口三味線《くちじゃみせん》で囃しながら、器用な手つきで凧糸をさばき、はずみをつけてヒョイと風に乗せる。
 顎十郎のからす凧は、いったん地面を這って、あぶなく塀ぎわの小溝へ落ちかけたが、そこで、あふッとひと煽りあおりつけられると、ツイと横ざまにのしあがってグングンと空
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