ときに、ひょろ松、お前、あの前の晩の四ツごろ、金座の川むこうの松平越前の厩《うまや》で小火《ぼや》があったことを知っていたか」
 ひょろ松は首をふって、
「いえ、存じませんで。……なにしろ、この件にかかりっきりで、とても小火までは手がまわりませんや」
「江戸の御用聞はおっとりしているというが、ほんとうだ。……小火がでた松平越前の屋敷は、川ひとつへだてて、ちょうど金座のまむかいなんだが、お前は、はてな、とも思わないのか」
 ひょろ松は笑って、
「川越しに、金座から放火《つけび》でもしたわけでもありますまい、それが、なぜ妙なんで」
 顎十郎は、たんねんに糸巻に凧糸をまきつけると、凧と糸巻を手に持って、
「……きのう金座から帰って、部屋で寝ころがっていたら、松平越前の厩番が遊びにきて、ゆうべの四ツごろ、行灯《あんどん》凧が厩の屋根へ落っこちてボウボウ燃えあがった。……早く見つけて大事にならねえうちに消しとめたが、もうすこし気がつかずにいたら、飛んだ大ごとになっていた。……おかげで、こちとらは、水だ、竜吐水《りゅうどすい》だ、で、えらい骨を折らされた、と言っていた。……どうだ、ひょろ松、これで
前へ 次へ
全48ページ中27ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング