き、ぽってりと長い顎を撫でて、うへえと悦に入る長閑《のどか》な顔が見たいのだという。
脇坂《わきざか》の部屋を振りだしに榎坂《えのきざか》の山口周防守《やまぐちすおうのかみ》の大部屋、馬場先門《ばばさきもん》の土井大炊頭《どいおおいのかみ》、水道橋の水戸《みと》さまの部屋というぐあいに順々にまわって、十日ほど前から、この松平佐渡守の中間部屋に流連荒亡《りゅうれんこうぼう》している。
顎十郎は、色のいい蜜柑を手の中でころがしながら、
「おい、三平、これが鞴祭の蜜柑か」
「へい」
顎十郎はニヤリと笑って、
「ごまかしても、だめだ。……こりゃあ、鞴祭の撒《ま》き蜜柑じゃねえ、屋敷の御厨《みくりや》部屋からくすねてきたんだろう」
三平という中間は、えへ、と頭へ手をやって、
「あいかわらず先生にはかなわない。……ど、どうして、それがわかります。……蜜柑にしるしでもついていますか」
「これは、河内《かわち》で出来る『八代《やつしろ》』という変り蜜柑で、鍛冶屋や鋳物師《いものし》の二階の窓から往来《おうらい》へほおる安蜜柑じゃねえ。……ご親類の松平河内守《まつだいらかわちのかみ》から八日祭の
前へ
次へ
全48ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング