《ふよう》の間詰《まづめ》、勘定奉行支配下においた。
 元禄十一年に、金座を日本橋|本町《ほんちょう》一丁目、常盤橋わきに移し、明治二年に造幣局が新設されるまでずっとその位置にあった。
 金座は、奥行き七十二|間《けん》、間口四十六間の広大な地域をしめ、黒板塀をめぐらして厳重に外部と遮断し、入口のお長屋門は日没の合図とともに閉じられ、以後、ぜったい出入禁止の定めになっていた。
 黒板塀の地内には、事務所にあたる金局《きんきょく》、鋳造所の吹所、局長の官舎にあたるお金改役御役宅、下役、職人の住むお長屋と四つの廓《くるわ》にわかれ、いまの日本銀行のあるところが後藤の役宅で、金吹町《かねふきちょう》のあたりにお長屋の廓があった。
 金局には、一口に金座人という改役、年寄役、触頭《ふれがしら》役、勘定役、平《ひら》役などの役づきの家がらが二十戸ほど居住し、金座人のほかに座人格、座人並、手伝い、小役人などという役があった。
 吹所には、吹所|棟梁《とうりょう》が十人、その下に棟梁手伝いがいて、約二百人の職人を支配していた。
 金座の仕事は、第一に、小判、分判の金吹で、幕府の御手山《おてやま》、そ
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