、叔父森川庄兵衛の組下、神田の御用聞、蚊とんぼのひょろ松。
 草履を突っかけるのももどかしそうに門口へ飛んで出るより早く、
「おお、阿古十郎さん……実ア、いま、脇坂の部屋へお伺いしようと思っていたところなんで……」
 顎十郎は、懐中から一通の封じ文を取り出すと、ひょろ松の鼻の先でヒラヒラさせながら、
「おい、ひょろ松、藤波のやつが、こんな手紙をよこした。……千賀春が、どうとかこうとかして、鍼が乳房へぶッ刺さって、按摩の杉の市は左ききだから、とても甘えものはいけねえだろうのどうのこうの。……実ア、まだよく読んでいねえのだが、なにやら、ややこしいことがごしゃごしゃ書いてある。……大師流で手蹟《て》はいいが、見てくればかりで品がねえ。筆蹟は人格を現すというが、いや、まったく、よく言ったもんだ、こればっかりは誤魔化《ごまか》せねえの。鵜《う》の真似《まね》、烏《からす》……牡丹に唐獅子、竹に虎、お軽は二階でのべ鏡か……」
 例によって、裾から火がついたように、わけのわからぬことをベラベラとまくし立てておいて、急にケロリとした顔をすると、
「それはそうと、ぜんてえどうしたというのだ、千賀春という
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