辺を拭きまわりながら、
「でも、まるっきり傷なんてえものは……」
藤波は、ニヤリ笑って、
「ときに、千太、千賀春は、どっちの手に撥を持って死んでいた?」
千太は、こうっと、と言いながら、科《しぐさ》でなぞって見て、
「あッ、左手でした」
「千賀春は、左ききか」
「そ、そんな筈はありません」
「妙じゃねえか」
千太は、眼を据えて、
「な、なるほど、こりゃア、おかしい」
急に、膝を乗り出して、
「すると、殺っておいて、誰か手に持たせた……」
「まずな。……殺ったやつは、たぶん、左ききででもあったろう」
「ありそうなこってすね。しかし、どうして殺ったもんでしょう。いまも申しあげた通り……」
「鵜の毛で突いたほどの傷もねえ、か。……ところで、見落したところが一カ所ある筈だ」
「見落し。……これでばッかし飯を喰ってる人間が五人もかかって、いってえどこを見落しましたろう」
ズバリと、ひとこと。
「乳房のうしろ」
千太は、ひえッと息をひいて、
「いかにも、……そこにゃア気がつかなかった」
藤波は、うなずいて、
「あんなものがぶらさがっていりゃア、誰だって、こりゃア気がつかねえ。……どう
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