眼で顎十郎の顔を見あげ、
「まア、あなた……どうして、それを。……あちきは、もう、どう疑われてもしようがないと、覚悟をきめていましたのに」
 藤波は、額に癇の筋を立て、
「おいおい、仙波、つまらない智慧をつけて言い逃そうとしたって駄目なこった。……相手は藤波だ。このおれの眼の前で、あまり、ひょうげた真似をするなア、よしたらよかろう」
 顎十郎はまあまあと手でおさえ、
「べつに智慧をつけるの、どうのってこたアありません。……しんじつ、ありのままのことを言ってるだけのこと。……嘘だと思ったら、これから小竜が言うことをじっくりきいてごらんなさい。それが、どういう次第だったか、よッくご納得がゆきましょうから。……さア、小竜さん、この先生がいきさつを聞きたいとおっしゃる。……ゆうべのことをありのままに話してごらん、なにもビクビクするこたアない」
 小竜は美しい科《しぐさ》でちょっと身をひらくと、すがりつくような眼つきで顎十郎の顔を見あげながら、
「では、お言葉にしたがいまして……。細かないざこざはもうしませんが、どうでも肚にすえかねることがござんして、その埓《らち》をあけようと思い、ゆんべ、宵の
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