引《あいひき》だ」
 勝手の障子をサラリとあけると、顎十郎、揚幕《あげまく》からでも出てくるような、気どったようすで現れてきて、
「これはこれは、藤波先生。……どうも、あなたは人が悪いですな。ちゃんと亥刻《よつ》とお約束がしてあるのに、こんなお早がけにおいでになるんで、だいぶ、こちらの手順が狂いましたよ」
 といいながらドタドタと小竜のほうへ歩いてゆき、
「……もしもし、小竜さんとやら……なにも、そんなところでヒイヒイ泣いてるこたァないじゃないか。……そこに突っ立っている先生にちゃんと言ってやりなさい。……濡れ紙で口をふさいだなどと飛んでもない。……あたしが来た時、千賀春さんはもう死んでいたんです、と立派に言いきってやんなさい。……余計なことは言う必要がない……掛けあいに来たのだろうと、ごろつきに来たのだろうと、いやみを言いに来たのだろうと、あるいはまた、しんじつ、殺す気で来たんだろうと、そんなことは一言もいりません。……なにしろ、お前さんが来た時にア、たしかに千賀春さんは死んでいたんだから、ありのまま、それだけを言やアいい。……さあさあ、どうしたんだね」
 小竜は、涙に濡れたつぶらな
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