「方角はどっちだ……東か、西か、南か、北か、早く、ぬかせ」
 ひょろ松は、おろおろしながら、
「な、な、なんでも、日暮里《にっぽり》だと申しておりました」
「日暮里か、心得た。……まだ、そう大して時刻もたっていない、三枚駕籠《さんまい》で行ったら湯灌場《ゆかんば》あたりで追いつけるかも知れねえ。……おい、ひょろ松、これから棺桶《はやおけ》の取戻しだ。おまえもいっしょに来い……といって、駈け出したんじゃ間にあわねえし、町駕籠でも精《せい》がねえ」
 ふと向いの邸《やしき》に眼をつけると、膝をうって、
「うむ、いいことがある」
 ちょうど真向いが、石川淡路守《いしかわあわじのかみ》の中屋敷《なかやしき》、顎十郎は源氏塀《げんじべい》の格子《こうし》窓の下へ走って行くと、頓狂な声で、
「誰か、面を出せ……誰か、面を出せ」
 と、叫び立てる。
 声に応じて、陸尺やら中間やら、バラバラと二三人走り出して来て、
「よう、こりゃア、大先生、なにか御用で」
「これから、亡者を追っかけて冥土《めいど》まで、……いやさ、日暮里まで行く。……早打駕籠を二挺、押棒をつけて持って来い。……後先へ五人ずつ喰っ
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