ふるわせたようだったが、もろくも、それなり。……引起してもとのように長火鉢にもたれさせ、ざまあ見ろ、思い知ったか、で、シコリの落ちたような気持になって、また裏口から飛び出した……」
 ひょろ松は、急に顔を顰《しか》め、
「……ところで、妙なことがあります」
「ふむ」
「千賀春は、右手にも左手にも……撥なんざあ持っていなかったと言うんです」
「はてね」
「もちろん、自分は、そんな器用なことは出来なかった、やってしまうと急に浮きあし立って、長火鉢にもたれさせるのもやっとの思い、雲をふむような足どりで逃げ出しました……」
 顎十郎は、トホンとした顔つきで天井を見あげていたが、急にひょろ松のほうへふりむくと、
「ときに、千賀春の死骸はまだそのままにしてあるだろうな」
 ひょろ松は、上り框《がまち》から腰を浮かし、
「なにしろ、医者の診立てが早打肩。それに検死がすみましたもんですから、今朝の巳刻《よつどき》(午前十時)家主とほかに二人ばかり引き添って焼場へ持って行ってしまいました」
 顎十郎は、立ち上ると、
「そいつは、いけねえ」
 いきなり、ジンジン端折りをすると、いまにも駈け出しそうな勢いで
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