眼をひらく。もういっぺん伸びをして起上ってあぐらをかくと、まったく、間髪をいれずというふうに、小者がスッと箱膳を運んでくる。
「先生、御膳になさい」
 腹がへるとのそのそ起上ることにきまっている。部屋ではこの辺の呼吸はちゃんと心得ている。もっとも、鯛の刺身などつくわけではない。この世界なみに、たいてい眼刺《めざし》か煮〆《にしめ》。顎十郎は、うむとも言わずにめしを喰い出す。飯を喰いおわると、お先煙草《さきたばこ》を一服二服。窓から空を見上げながら、
「だいぶ、涼気が立って来たの」
 てなことを、のんびり言っておいて、またごろりと横になろうとするところへ、ひとりの中間が、先生、お手紙、といって封《ふう》じ文《ぶみ》を持って来る。
 顎十郎は受取って、
「これは、けぶだの。俺に色文をつける気ちがいなどはねえはずだが……」
 ゆっくりと封じ目をあけて読み下していたが、無造作に手紙を袂の中に突っこむと、
「ほう、こりゃア、ひょっとすると喧嘩かな。いやはや、どうも弱ったの」
 と、ぼやきながら、剥げちょろの脇差をとりあげ、のっそりと上り框のほうへ歩いてゆく。耳早なひとりが聞きつけて、
「先生!」
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