はや》っているから、蛤など喰うな、と独言のように三度もくりかえしたというのです。あまりしつっこく言うので二人は気がさして喰うのを差しひかえた。これは、給仕に出ていた女中のかねの口からわかったのですが、こんなはっきりした手証《てしょう》がある以上、こりゃア、のっぴきならねえと思うのですが」
 顎十郎は、かぶりを振って、
「そう聞くと、いよいよいけねえの。……虎列剌の大流行《おおはやり》のさなかに蛤を喰うなどというのが、そもそも無茶なんだ。細心な男なら誰れだって一応はそのくらいの注意はする。然も、それは、なにも三人だけに限って言ったというわけではなかろう。一座している以上、ほかの三人の耳にも当然はいることだ。けちをつけようと思うなら、一座の中でそんな尻ぬけたことを口走りはしない。ひょッとすると、あとの三人にも怖《おじ》けづかして喰わせずにしまうかも知れねえじゃねえか。三人まで人を殺そうとたくらむ男のすることじゃない」
 庄兵衛は癇癪を起して、
「よけいな詮索はいらぬわい。貴様はなにかつべこべいうが、当の忠助が、私がいたしました、私のしたことに相違ありませんと白状し、もう爪印までとってある」
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