まいな」
 庄兵衛は、おどろいて、
「貴様、それを、どこで耳に入れた。この件はまだ世間にはけっして洩れない筈だが……」
「と思うのが、たいへんなまちがい。どういうわけか、この阿古十郎の耳にはちゃんと届いております。……上手《じょうず》の手から洩れると言いますが、それは、この辺のことでしょう」
 ひょろ松は膝をゆり出し、
「阿古十郎さん、こんどくらい、気持のいいことはごぜえませんでした。……実は今月の晦日《みそか》に、伝馬町の堺屋から虎列剌《ころり》が出たんです。……主人の嘉兵衛と一番番頭の鶴吉と姉娘の三人がひどい吐潟下痢《はきくだし》をして死んでしまった。ちょうど月代りの最後の日で、呉服橋からは、せんぶりの千太が高慢ちきな顔をして出張《でば》って来て、ひと目見るなり、こりゃア、虎列剌だ、まぎれはねえ、で引きとって行った。……ところが、あくる日からすぐこっちの月番だ。……ひどく無造作に渡したが、さて、受取って考えて見ると、どうも妙な節々があるんです」
 顎十郎は、気のなさそうな顔つきで、
「ほほう、妙というのは、どう妙?」
「まあ、お聞きなさいまし。いったい、堺屋では、主人の嘉兵衛と姉娘
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