稲荷《しんみなといなり》のまえに俯《うつ》ぶせに倒れていた。門跡様《もんせきさま》からの帰りであった。二十両余りの金を懐中にしていたが、それもそのまま残っていた。ほかにもなにひとつ失くなったものはない。
 それから、一日おいて次の夜、佐竹の家臣で、相当腕のたつ武士が、これもやはり、同じように咽喉を斬られ、越前堀《えちぜんぼり》の『船松』という網船の横丁の溝の中で死んでいた。……こんな具合に、つぎつぎに五人まで同じような死にかたをしている。
 その傷は極めて異様なもので、左の耳の後から咽喉仏《のどぼとけ》の方へ偃月形《みかづきがた》に弧を描いて刎《は》ねあげられている。ひといきに頸動脈をふかく斬られ、斬られたほうは、恐らくあッというひまもなく即死したであろう。
 どの死体にも判で捺したように、見事な鎌形の傷があることと、なにひとつ所持品が失われていないことが、この事件の特徴であるが、その傷口を、かれこれ照合してみると、場所といい、大きさといい、また、鎌なりのその形もいずれも寸分のちがいはない。
 最初は、傷跡が示すとおり、鎌で掻き切って殺したのだという説がたった。やりすごしておいて、後か
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