うに、煙管をとり上げたり投げ出したり、腕を組んだりほぐしたり、見る眼にも、なかなか多忙をきわめるのである。
 すこし離れたところに、きっぱりした顔だちの、十七八の美しい娘が、すんなりと坐っている。
 庄兵衛の娘の花世。四十になってからのひとりっ子なので、まるで眼のなかへでも入れたいような可愛がりよう、普断ならば、寄って来られただけで、もう他愛なくなってしまうほどなのに、今日はどういう風の吹きまわしか、花世がそばにいるのさえ気づかぬ様子である。
 庭には季節の花がある。
 こうして矢たてや懐紙をひきつけているところは、下手な俳諧でもひねっているように見えるが、どうして、そんな細かい味をもったおやじではない。このごろ、江戸の市中を騒がしているかまいたち[#「かまいたち」に傍点]の事件を苦吟中なのである。
 この月のはじめから、江戸の市中に不思議な事件が起きる。どうにもとらえどころのない事件で、それだけに江戸の人士を竦《すく》みあがらせている。
 一日ずつあいだをおいて、続けざまに五人まで、の深く咽喉を斬られて街上に倒れていた。
 最初の犠牲者は本所猿江《ほんじょさるえ》の金持の隠居で、新湊
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