、懐紙のあいだから、うやうやしげに一本の釣鈎をとり出し、
「おれのおやじは、ひどい釣|気狂《きちが》いでの、いまわの際《きわ》におれを枕もとによび、血筋というものは争えないもので、いずれは、お前も釣りに凝り出すようなことになるのだろうが、そのせつは、忘れてもほかの釣鈎で釣ってはならねえ。どうでも、この鈎で釣ってくれ、といってナ、そうして、眼をおとした。……なにしろ、いまわの頼みだから、どうせ釣りをするなら、これと同じ鈎で釣ってやりてえと思うのだが、これと同じものが、貴様のところにあるかな」
例によって、わけのわからぬことをいう。番頭は鈎を手にとって眺めていたが、
「そもそも、鱚鈎ともうしますのはむずかしいもので、例えば善宗流《ぜんそうりゅう》の沖鈎、宅間玄牧《たくまげんぼく》流の隼《はやぶさ》鈎、芝|高輪《たかなわ》の釣師|太郎助《たろすけ》流の筥鈎などと、家伝《かでん》によりましていろいろ型がござりますが、……しかし、これなぞは、普通、見越鈎といわれる、ごくありふれたもので、へへ、御遺言までもございません、手前どもでは、一本一文に商っております」
顎十郎は、頭へ手をやり、
「ほい
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