しゃくって、
「鎌いたちは、あそこで泳いでいる」

   殺手《さって》

 年の頃は三十五六歳、険高《けんだか》な、蒼味がかった面の、唇ばかり毒々しく赤い、異相というのではないが、なんともいい表しがたい凄惨な色が流れていて、なにか人を慴伏《しょうふく》させるような気合がある。
 膝きりの布子《ぬのこ》を着、足首まで水に這入って静かに糸を垂れている。
 つい今しがた来たのだ。さきほどまではこの近くに姿は見えなかった。
 無反《むぞり》の長物《ながもの》を落差しにし、右を懐手にして、左手で竿をのべている。月代《さかやき》は蒼みわたり、身なりがきっぱりとしているから浪人者ではあるまい、相当の家中《かちゅう》と見わけられるのである。
 ひょろ松は、さすがに心得のあるもので、上汐を見るふりで眼の上に翳《かざ》した手の間からまじまじとそのさむらいを眺めていたが、さり気ないようすで顎十郎のほうへふりかえると、
「阿古十郎さん、あれが?」
 と、眼差で鋭くたずねる。
 そのくせ腰のひねりは岸のほうへ廻りこんでいて、さむらいものの退路を断つような構えになっている。なりわいといいながら、さすがに隙のないことであった。
 顎十郎は、うむ、とうなずいて、
「今に釣れるから、そうしたら、よッく竿の先を見ていろ、眼をはなすな。……言うがにまさる、いやおうなく、なっとくのいくことがある」
「へえ」
 といって、ひょろ松、餌をつけかえて鈎を沖に投げこみ、腰をひねって竿の先をさむらいもののほうに向け、凝ったようになって向うの竿先をにらみ始める。目通しにこちらの竿の先と向うの竿の先が一点になって。……これも心得のあることである。
 それから、ややしばらく、さむらいものの籠手《こて》になにかチラと気勢がうごく。
 はッと息をつめていると、沖に直《すぐ》にのべた手の拳も膝もゆらりとも動かず、ただ、竿先だけが虚空《こくう》に三寸ばかりの新月をえがいたと思うと、どういう至妙の業によるのであろう、鈎先は青鱚をつけたまま、おのずからはね返って魚籠の中に入った。業というか気合というか、なににせよ、剣道の至奥《しおう》にも疏通《そつう》した、すさまじいばかりの気魄であった。
「どうだ、ひょろ松、合点《がてん》がいったか」
 ひょろ松は、額にびっしょりと冷汗をかき、
「おそれ入りました」
「間違いはねえだろう」
「ま
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