邦の改革でおさえられ、自然と舶載もとまったが、昨年の秋ごろ、長崎屋という呉服屋が京橋に店をひらき、支那から仕入れた呉絽を一と手に売り出したので、金に糸目をつけぬおおどこの娘や芸者が競って買い求め、年増は小まん結びに、若向きは島原結びというのにするのがこのごろの流行《はやり》。
 しかし、なにしろ、一巻五十両から、ちょっとましになると三百両、四百両というのだから、庶民階級にはとても手がとどかない。しゃっきりとして皺にならず、そのうえ、なんともいえぬ味があるので、呉絽でなければ帯でないようなありさま。仕入れる片っぱしから羽根が生えたように売れるから、長崎屋の利益は莫大。
 はじめは三間間口の、せいぜい担ぎ呉服程度だったのが、両隣りを二軒買いつぶして、またたく間に十二間間口の大店になってしまった。
 ひょろ松は、畳の上にいくつも敷きひろげられた呉絽の帯地を眺めながら、
「なんだか、スバスバして素ッ気のねえもんだが、流行というものはみょうなものだ……番頭さん、これは、ぜんてえなんで織るのだね」
「へえ、これは支那の河西《かせい》の名産でございまして、経糸《たていと》には羊の梳毛《すきげ》をつか
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