行けばどういう主の注文で作ったか容易に知ることが出来る。こういうものがこの番所の手に入ったのは、実にどうも天佑とも天助ともいいようのない次第で、吟味方はもちろん無足《むそく》同心のはてまで雀踊《こおど》りをして喜んだ。これによって永らく腐り切っていた北番所の名をあげることも出来、日頃しょんべん組などと悪態をついている南番所のやつらの鼻を明かしてやることも出来るのである。
 その、かけがえのない大切な証拠物件を、庄兵衛がひょろりと紛失してしまった。
 どこかへ失くしまして、では事がすまぬ。吟味方一統の失態ともなり、三百人からの人間の上に立つ組頭の体面にもかかわる。こんなことが評判になったら、また南番所の組下が手を叩いて笑いはやすであろう。そんなことはいいとして、もし、ひょっとして、賄賂をとって証拠|湮滅《いんめつ》をはかったのだろうなどと、痛くもない腹をさぐられるようなことにでもなったら、それこそ、のめのめと生きながらえているわけにはゆかぬ、まさに皺腹《しわばら》ものである。
 さすが強情我慢の庄兵衛も、これにはすっかり閉口してしまった。
 早速、腹心のひょろ松をひそかに呼びよせ、手下の
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