が、なにしろあまりひどい汗なので、一人娘の花世《はなよ》が心配してたずねると、庄兵衛老、れいのお不動様の三白眼で、じろりと花世の顔を睨《ね》めあげ、
「馬鹿め、汗が、なんだ」
 と、蚊の鳴くような声で叱りつけた。
 よせばいいのに老人《としより》の冷水《ひやみず》で、毎朝三百棒を振るので、その無理がたたり、この時、腸捻転を起しかけていたのである。いよいよドタン場になって、しぶしぶ按摩を呼ばせた。療治の間もとうとう音をあげなかったが、箱枕をひとつ粉々に掴みつぶした。
 庄兵衛の強情と痩我慢を、書いていたのではきりがない。この頑固一徹で日毎に番所を風靡するので、さすがの奉行も年番方も庄兵衛には一目をおき、まるで腫れものにでも触るように扱っている。
 ところで、この庄兵衛老に弱点がひとつある。
 一人娘の花世のことになると、たちまち、なにがなんだかわからなくなってしまう。四十になってからの一人ッ子なので、まるで眼の中へでも入れたいような可愛がりよう。なんでも、うん、よし、よし。したいほうだいに甘やかしている。甥の阿古十郎が、
「叔父上、本所石原の岩おこし[#「おこし」に傍点]で歯ざわりは手強
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