しくない。いよいよ苦り切って、
「ふん、そんなこと位ではしゃげるか、貴様でもあるまいし」
 そっぽを向いて、またしても、そっと溜息をつく。
 顎十郎は、花世から一件の話をきくと、眼をつぶって、叔父の居間の模様をぐるりと頭の中で一回転させただけで、この紛失事件の綾がすっかりわかってしまった。こんなにたわいのないことを洞察《みぬけ》ないで、よく今日まで吟味方がつとまったものだ。日頃の強情にも似ず、すっかり弱り切っている叔父のようすを見ると、気の毒でもあり可笑しくもある。
 錠口でガランガランと鈴の音がする。
 庄兵衛は急に生き返ったような顔つきになって縁側へ上ると、わざとノソノソと廊下のほうへ歩いて行く。
「なんだ」
 小間使の声がこんなことを言っている。
「淡路町《あわじちょう》からの使いで、例のものが、笠森《かさもり》近くのさる下屋敷へ入ったことを突止めましたから、御足労ながら至急こちらまでお出かけ下さい。笠森稲荷の水茶屋でお待ち申すという口上でございます」
 庄兵衛は、急に元気いっぱいになって、
「使いの者に、すぐまいると申しておけ。……外出するからすぐ着換えを出せ、早くしろ」
 と
前へ 次へ
全27ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング