つまらぬことを空頼みにして、ぶつぶつと呟《つぶや》いていると、ふいに後から、こんなことを言うやつがある。
「えへン、何かそこでぼやいていますナ」

   権八

 振りかえって見ると、いつの間にはいりこんで来たのか、甥の阿古十郎が懐手をしてのっそりと突っ立っている。
 阿古十郎は、庄兵衛老にとってたった一人のかけがえのない甥だが、世の中にこんな癪にさわるやつはない。
 庄兵衛などは頭から馬鹿にしきっているふうで、てんで叔父の権威などは認めない。口をひらけば必ずなにか癇にさわるようなことをひと言いう。感じがあるのか無いのか、いくら怒鳴りつけても、ニヤリニヤリと不得要領に笑っているばかりで、つかまえどころがない。その揚句、なんだかんだとうまくおだてては幾許《いくばく》かの小遣をせしめる。庄兵衛老、根がお人好しなもんだから、ついひょろりとせしめられ、余程たってから気がついて、また、してやられたぞと膝を掻き※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》って立腹する。
 庄兵衛の妹の末子で今年二十八。
 五年ほど前に甲府勤番の株を買ってやったが、半年も勤まらず、役をやめて江戸へ出て
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