れが、なにも言わない。……口を締めた田螺《たにし》同様でな、毎度のことながら、手がつけられない」
「こんなところで寝っころがっていてはいけません。のんきらしい」
「はて、起きてなにをしましょうな」
「せめて、しんぱいらしい顔でもなさいな」
 今年十七で、早くから母に死別れて父の手ひとつで気ままに育てられたせいもあろう。山の手の手固い武家育ちと思われぬ、ものにこだわらぬ気さくなところがあり、自分の思った通りのことを精一杯に振舞う。
 これも顎十郎の奉加につく一人で、このほうは叔父ほど手数がかからない。黙って坐ると、かならずいくらか包んでわたす。どこで覚えたのか、
「すくないけど、小菊半紙でもお買いなさい」
 なんて粋なことも言う。
 はっきりとした面ざしで、口元に力みがあり、黒目がにじみ出すかと思われるような大きな眼で、相手をじっと見つめる。絖《ぬめ》のような白い薄膚の下から血の色が薄桃色に透けて、ちょうど遠山の春霞のような膚の色をしている。赤銅色のあの獅子噛面がどうしてこんな娘を生んだんだろう。それにしても、武家の娘になんかして置くのは勿体ない。柳橋からでも突出したら、さぞ人死が出来るだろう。……顎十郎は下から花世の顔を見上げながら、こんな不埓なことを考える。
「ねえ、花世さん、路考《ろこう》の門弟の路之助《ろのすけ》が、また新作のはやりうたを舞台でうたっているが、三絃《さみせん》に妙手《て》があるのか、いつみても妙だぜ」
 花世は、つんとして、
「また、のんきらしい。……芝居どころじゃありませんてばさ、私にも隠しているから、切り出すわけにもゆきませんが、あんまりな気落ようで、いっそ、こわくッてなりませんよ」
 顎十郎はのんびりと顎をなでながら、庭のほうへ眼をやり、
「なアに、案じることはない……こうしていれば、いまに、やってくる」
「なにが、やって来ます」
「いやなに、植木屋でもやって来そうな日和だってことさ」
 花世は焦れて、
「冗談ばっかり。……たんとおふざけなさい。私ァ知らないから」
 と、拗ねたふうに出て行く。
 顎十郎は花世の足音が錠口の向うへ消えるのを聞きすますと、庭へ下りて裏木戸の方へ行き、掛桟《かけさん》を外してまた座敷へ戻って来た。

   眷属《けんぞく》

 それから小半刻。
 煙草盆をひきよせて雲井を輪にふいていると、裏木戸があいて、出入の
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