》の『さ』。こりゃあ、わけはない。すると『大』はこの筆法で、大臣《おとど》の『お』かな、それとも大人《うし》の『う』かな。……『さおか』。でははなしにならないから、するとやはり大人のほうで『さうか』。……さうか……、さうか……、草加!……ふ、ふ、なるほど!」

   涎《よだれ》くり

 湯島の古梅庵という料亭の奥座敷。
 柱掛に紅梅が一と枝|※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《い》けてあって、その下で顎十郎が口の端から涎を垂らして、ぼんやりと眼を見ひらいている。
 これと向きあって、紫檀の食卓に腰をかけ、ニヤニヤ笑っているのは、鐘ガ淵のれいのお八重。
 高く組んだ膝の上へ肱をついて掌で顎を支え、ひどくひとを馬鹿にした顔つきで、
「ほほほ、ちょいと顎さん……。仙の字。……なにもかも承知のくせに、すッ恍《とぼ》けてあたしを嬲《なぶ》ろうとしたって、そううまくはゆきませんのさ。……お前さんが、風呂へ行っている隙に、祐堂和尚の手紙を読んで、あんたが知っている字も、和尚のおせっかいも、なにもかもみんなわかってしまったの。……『五』という字が手に入ればもうこ
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