いたせ。そうなくては佞奸の水野を圧えることが出来ぬ。……水野の復職の理由が不明だによって、閣内はいうまでもない、市中でもさまざま取沙汰するそうな。……わしとしては、この上、一日も水野の圧迫を忍びとうない、不快じゃ」
「おこころは充分お察し申しあげております。……かならず……かならず……」
「たのむ」
寛濶なひとは、それで数寄屋の中へはいってしまった。村垣は庭土に三つ指をついて首を垂れたまま、いつまでもじっとしている。
顎十郎は、松の上で、
「……早く行かねえか! これじゃ降りられやしねえ、泣くならどこかへ行って泣け」
と、ボヤいていると、村垣はようやく膝の土を払って立ちあがり、顔を俯向けるようにして並木路のほうへ行ってしまった。
顎十郎は、そろそろと松の木からおりて沼のへりを廻り、竹藪の中へ逃げこむと、またしても大胡坐をかき、
「……あなたまかせの春の風。……もうひとつの漢字がわかって、その上、読み方まで教わりゃあ世話はない。……すると、お沢婆さんの書いた三字の漢字というのは『五』と『大』と『鹿』だ。……鹿は鹿の子の『か』と読ませるつもりだそうだから、すると『五』は五月《さつき
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