っちのもの、捨蔵様のいどころはこれでちゃんとわかりましたから、あたしはひと足先にまいりますよ。……始めて江戸へ出て来たひとを、こんな目に逢わせてお気の毒さまみたいなもんだけど、これに懲りて、もう柄にないことはおよしなさい、わかりましたか。……ご縁があったら、またいずれ。……あとで手足の痺れが直ったら、ちゃんと涎を拭いておきなさい。……くどいようだが、あたしはこれから行きますよ、よござんすね。……では、さようなら」
「ち、ち、ち……」
「畜生と言いたいのでしょう、急がずに、あとでゆっくりおっしゃい、ね」
 言いたいだけのことを言って赤い舌を出すと、お八重はツイと小座敷から出て行ってしまった。
 痺れ薬のせいで手足はきかないが、頭は働く。口惜しくて腹の中が煮えくり返りそうだが、顎の筋まで痺れたとみえて、歯軋りすることさえ出来やしない。
 それからひと刻。
 ようやく手足がすこしずつ動くようになった。半分這うようにして帳場まで行き、曳綱後押附の三枚駕籠を雇ってもらい、その中へ転がりこむと、レロレロと舌を縺らせながら、
「そ、う、か……そ、う、か……」
「おい、お客さまが、そうかそうか、とおっ
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