の数寄屋の庭先に二抱えほどもある大きな古松が聳えているのに眼をつけ、
「こうなりゃあ、しょうがない、あの松の枝のあいだにでも隠れるほかはない」
走り寄って幹に手をかけ、スルスルとよじのぼり、中段ほどの葉茂みの中に身を隠してホッと息をついていると、枝折戸をあけて静かに入って来た、三十五六の、精悍な眼つきをした一人の男。
松坂木綿の着物を着流しにして茶無地木綿の羽織を着ている。身体つきは侍だが、服装は下町の小商人《こあきうど》。妙なやつがやってきたと思って眺めていると、その男は数寄屋の濡縁に近い庭先へ三つ指をつき、右手を口にあてて、えへん、えへんと二度ばかり軽く咳払いをした。
しばらくすると、数寄屋の障子がサラリとあいて、縁先へ出てきたのは五十一二の寛濶なようすをしたひと。
これも着流しで縁先まで出てくると、懐手をしたまま、
「おお、村垣か。……あれは、その後どうなっておる。……所在はわからぬか」
村垣と呼ばれた男は、ハッとうやうやしく頭をさげ、
「今しばらく、御容赦を願います。……じつは、いつぞやお話し申しあげました伊佐野の局の召使い八重と申す者を国府台で追いつめ、及ぶかぎり糺
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