かと思うと、公爵は飛鳥のように身を翻《ひるがえ》して家の横について走りながら西洋蘆《キャンヌ》の中へ消えてしまった。
「これは大変なことになった。せっかく公爵と別懇になって、この冬は碧瑠璃海岸《コオト・ダジュウル》にふさわしい快適な生活ができると思ったのに、どうやらあの公爵の脳髄は大分混雑しているようだ。このままのめのめとあの人物の招待に応じていたらわれわれの身辺にまたもや意外な椿事《ちんじ》が起こるかもしれない、波瀾万丈は小説家の好むところだろうが、僕は元来、コントラ・バスの修業に仏蘭西へやって来たのだから、平和な生活の方が望ましい。どうだろう、幸い公爵は裏の方へ行ったようだから逃げ出すなら今のうちだと思うけど……」
 西洋蘆《キャンヌ》の繁みの奥の方をキョトキョトと偸視《ぬすみみ》しながら、コン吉がいうと、タヌは一向意に介しないふうで、
「頭の工合が悪いからこそ、こんな海岸へ養生に来たのよ、だいいち、コン吉にしたところが、同じ目的でやって来たのだから、願ってもない良い仲間《コオパン》じゃないこと、もし幸い君の頭が、あのひとの頭より少しでもましなら、せいぜい看病してあげたまえ、それこ
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