怩オていないせいもあり、かたがた突然の偉大な衝撃にあってにわかに立場を失い、堂とばかりに床の上に尻餅《しりもち》をついた。
五、寝起きはとかく不機嫌な巴里の冬空。相も変らず霧のような氷雨《ひさめ》は大気を濡らし、共同便所の瓦斯《ガス》灯の舌もまだ蒼白く瞬いている朝の七時ごろ。近くの貨物停車場《ギャアル・マルシャンデイズ》の構内から出て来た牛乳会社の大馬車が、角石畳みの舗道の上を轟落轟落《がらがら》とすさまじい音を立てて駆け過ぎたあとは、往来は急にひっそり閑。聴えるものは遠くの袋小路《アンパッス》で触れる「古服《ダビ》や|屑のお払い《シフォニ》」声ばかり。
全身を毛布で包み、高からぬ鼻の先だけをつん出したコン吉が、その、夢のような金文字入りの自動車を一見するため、タヌに引っ立てられて歩道《トロトリアル》まで降りて来たが、その場には一向自動車らしいものもない。そこで、コン吉が、まだ夢の中なる寝ぼけ声で、
「自動車というのは一体どこにあるのかね? なにしろ、こう寒くてはかなわないから、見せるなら見せるで、早いとこやってもらいたい。さあ、その車庫《ギャラアジュ》というのへ行こうではないか。
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