すべき自動車は中へ突っ込んでおいた「ナポレオン三世」の瓶や上靴ももろ共に何者かに窃取された。こんなものは誰れも持って行くまいと安心して、市場の前の庭へ投げ出して置いたのが悪かったのだ。芥箱《ごみばこ》であれ touf−touf であれ、あれはわれわれの財産だ。とりあえずその町の分署へ行って、机の前で泰然と腕組みしている署長に訴えた。
「署長さん、実は昨夜《ゆうべ》、われわれの車《マシン》が盗まれました」
「ほほう、どんな車《マシン》だね?」
「二人乗るくらいの、ほんのちょっとしたやつなんですけど」
「番号は何番じゃったね」
「あの車に番号なんかあったかしら?」
 署長は大きな帳面を引き出して、親指の腹を※[#「舌+低のつくり」、第3水準1−90−58]《な》めあげ※[#「舌+低のつくり」、第3水準1−90−58]めあげ頁《ページ》を繰《く》っていたが、
「盗まれたのは何日《いつ》だといったかね?」
「昨夜《ゆうべ》なんですの」
「昨夜《ゆうべ》? いや、そんな事はあるまい。もう六ヵ月にもなっている。あんた達の車というのは、拾得物としてちゃんと届け出てありますぞ。ご安心なさるがいい。今、
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