引き渡しますから、ここで待っていなさい、いいか」といって戸外《そと》へ出て行ったが、やがて、曲馬団ででも使ったと思われる「|二人乗りの自転車《ダンデム》」を押し出して来た。
「どうじゃネ?」
「なんですか?」
「あんた達の盗まれた車《マシン》というのはこれじゃろうね。二人乗りの無番号。こんなものをむやみに落しては困るねえ。ささ持ってゆきなさい。帳面のここんところへ署名《シニエ》して……」
 この町の旅館に二日の間滞在して、泰然たる署長がもたらすであろう吉報を待っていたが、自動車も「ナポレオン三世」もとうとう現われて来なかった。あの自動車は、見かけは滑稽《こっけい》なやつだけど、乗ってるうちにいろいろな美点も発見した。今では執着も残るし、名残《なごり》もなかなか深いが、なくなったものは今さらどうにも仕様がない。あの自動車のまぎれない特徴は、仏国警察の頑丈な盗難台帳に記帳しておいたから、もし縁があれば、また廻《めぐ》り合うこともあるであろう。
 二人はその夕方、ボウム駅から|P・L・M急行《パリ・リヨン・メディティラネ》で、常春《とこはる》の碧瑠璃海岸《コオト・ダジュウル》へ向けて出発した
前へ 次へ
全32ページ中31ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング