ヘそれを聞き流して、コン吉に、
「ときに、いく時ごろだろう」と、きく。
コン吉が時計を出して、今は八時十分だ、と、おろおろしながら答えると、男はその時計をちらりと見て、
「おや、とんだ良《い》い時計《オアニヨン》だ」と、ニヤリと笑ってから、「お前さん達は、安南人《アナミ》かね、支那人《シノア》かね」
「ジャポネです」
「ジャポネね? ふうむ」といって、しばらく何か考えていたが、「俺あね、日本人にあいたいあいたいと思っていたんだぜ。……こんな山ン中で日本人にあえようとは思わなかった」あとはひとりごとのように、「とんだいい廻《めぐ》り合せだ」といった。「そうさ、今から六年ぐらい前の話だ。俺の弟はなあ、ツウロンの酒場《マストロケ》で日本人の水兵《コル・ブルウ》に短剣《ポアニエ》で眠らされたんだ。弟はそのころ威勢のいい古服屋《フリピエ》だったんだが、その晩|酒場《そこ》で女《プウル》を連れて一杯やッていたっていうんだ。するその水兵《マアチュウル》が来やがって、どうしてもその女《プウル》と踊《ジゴテ》するというんだ。弟の野郎が腹を立てて、そいつの横っ面を平手打《ジフル》したところが、いきなり引
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