hオトの山道に迷い込んでしまった様子。地勢はこのへんから急に昇《たかま》って、石に阻《はば》まれたり窪地で途切られたりする、曲りくねった小径《こみち》が一筋かすかに続いているばかり。漆のような闇の中から突然浮び出す白骨のような樺の朽木。吹く風も妙に湿って、さながら陰府《よみ》からでも吹いて来たよう。このもの凄《すご》い山道を乏しい前照灯《フェラン》の光りだけで辿《たど》って行く心細さ、恐ろしさ。臆病未練なコン吉は、もう魂も身にそわないような心持。すると、横手の小道から、この寒空に、外套も着ず帽子もかぶらぬ、三十歳ぐらいの奇妙な男が現われて、
「いよウ」と、二人に快活な声をかけた。二人は天の助けと喜んで、サン・フロランタンへ出る道をたずねると、その男は車の扉《ドア》に手を掛けて並んで歩きながら、
「なアに、じきでさ」と、事もなげに答えた。
「この道をまっすぐに行けばいいのね」と、タヌがたずねると、
「ええ、まあ、そうでしょう」という返事。
「もう一時間ぐらい?」
「なアに、じきでさ。お嬢さん、お急ぎですか」と、妙な事をいう。
「そうよ。誰れがこんな暗い山の中にいたいもんですか」すると、男
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