セね」
「でも、これより出すと危ないよ」
「いや、そんな事はあるまい。今すれ違った葬式の馬車だって、この車よりは早く走っていたからね。せめて、あの程度にやってもらいたいものだ」
「君さえ承知なら、やって見ましょうか」といいながら、タヌがぐいと緩急機《デクント》を変えたと思うと、そのとたんコン吉は、ビックリ箱から跳ね出した三毛猫のように座席から飛びあがり、寝巻のままでサラド畑の中へ投げ出された。

 さて、難行苦行のすえ、フォンテエヌブウロオの森をはるか左に見、ロアンの運河《キャナアル》にそったモレという町に到着したのは夜の九時過ぎ。この日の行程わずかに六十四粁《じゅうより》。思い遙かす、ニースまではまだこれから千〇二十四粁《にひゃくごじゅうろくり》の長道中。この調子では、今年中にゆきつけるものやら、来年の春までかかるものやら、コン吉は胸を抱《いだ》いてはなはだ憂鬱。
 七、雑魚《ざこ》の魚交《ととまじ》り、並びに生簀《いけす》の悶着のこと。翌日の出発は午前七時。タヌに寝床から引きはがされたコン吉は、何を思ったか上衣《うわぎ》の下に剣術《エスクラム》の|胸当て《ブラストロン》のごとき、和
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