サの真綿のチョッキを着込み、腹と腰に花模様の華やかな小布団《クッサン》を巻き付けたのは、多分防寒のためというよりは、街上に投げ出された時の用心のためであるらしかった。パンにはあらかじめバタをぬり、気附《きつけ》薬のために「ナポレオン三世」という銘のある葡萄酒を六本までも仕込んだのは、はなはだ時宜に適した思い付き。タヌはと見れば、これもまた髪を梳《くしけず》り、丹念に爪を磨き、キャロン会社製造の「|謝肉祭の夜《ニュイ・ド・ノエル》」という香水をさえ下着に振り撒《ま》いたのは、その昔、東邦の騎士《キャヴァリエ》が兜《キャスケ》に香を焚きしめたという故事もあり、覚悟のほども察しられて、勇ましくもまた涙ぐましき極みであった。
 決死の両士を乗せたアランベエル商会の自動車は、遅々《ちち》としてヨンヌの平野をのたくりゆくうち、ようやく正午《ひる》近く、サンの町の教会の尖塔が、向うの丘の薄陽《うすび》の中に浮びあがって見えるところまで辿り着いた。コン吉は今日こそは正当《まとも》な昼飯にありつけると、心情いささか駘蕩《たいとう》たる趣きを呈《てい》しかけて来たところ、アランベエル商会は、その町の入口で
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