トいる様子。
 雑然たる工場と、ボンボンの箱のような小住宅が雑踏する巴里の郊外地帯《バンリュウ》を離れると間もなくブウレエの石切り場にさしかかる。コン吉がこの大震動の間から、そっと偵察の目を押し開けて眺むれば、遠い野面《のづら》には霜に濡れた麦の切株、玻璃鐘《はりしょう》の帽子をかぶせたサラドの促成畑、前庭に果樹園を持った変哲もない百姓小屋、いずれも駱駝《らくだ》色に煤《すす》ぼけ、鳥肌立ったる冬景色。
 巴里の市門《ポルト》イヴリイをよろめき出してから三時間あまり、もうオオゼエル村のあたりまで来たのでもあろうかと、ふと何気《なにげ》なく巴里の方を振り返ると、ナント、エッフェル塔は三色旗をかかげて、まだほんの間近にそびえ立っているという有様。これにはコン吉も呆《あき》れ果て、
「どうだろう、これからおいおい速力が出るという工合になるのだろうね。昼飯はオオゼエルの野菜料理屋で、名代のオムレットを喰べさせると君はいったが、もうそろそろ正午《ひる》だというのに、今見たらエッフェル塔はまだ目のしたにある様子だ。このぶんでは、巴里まで引き返して昼飯にした方が早そうだね。どうだろう」と、舌を噛《か
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