アドは泥鰌《どじょう》の悩み。懇篤《こんとく》重厚なるジェルメエヌ後家の述懐、涙ぐましき苦業の数々。一つとしてこれを聴く人の断腸の種とならぬものはないのだが、とかく漠然たるコン吉の大脳には、ただもううるさいと響くばかり。涯《は》てなき長広舌の末、この島全体の空気に、何やら相応《ふさわ》しからぬ艶《なま》めかしい匂いを残して、若後家が階下《した》の居間に引きさがったのち、はて、今の話の筋道は一体どんなことであったのか、と首をひねってタヌの様子をうかがうところ、どうやらこれは並々ならぬ災難の前兆、悪運の先駆けと思わざるを得ないというのは、粗《あら》い毛織りの服を着たタヌの胸が優しげな溜息をもらし、洞窟の奥の黒曜石のような眼玉が、あらぬ虚空《こくう》をみつめ、何やら深い物想いに耽っている様子。この溜息こそは、例の端倪すべからざるタヌの空想、即ち災難の前触れ。これは油断のならぬ事になった。急いでそれ相応の防禦の道を講じなくてはなるまいと、コン吉が、まずそれとなく鹿爪《しかつめ》らしい咳ばらいをし、さて、おもむろに舌を動かそうとしたとたん。
 コン吉よ、君は子供と鱈《たら》の子を何より嫌いだとい
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