りに行ったジェルメエヌ後家からは、もう十日にもなるが一向に音便《おとさた》なく、小手《こて》をかざして巴里の方角を眺めやれば、うす薔薇色の雲がたな引き、いかにも快活な空模様であるに引きかえ、この島には雨雲低く垂れ、ねぼけ顔する灯台の回旋光が、雲の下腹を撫でては、空《むな》しく高い虚空へ散光するのであった。
七、ドミノ遊びは白と黒との浮世の裏表。
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尊敬するお二人様。恋の手綱《たづな》と荒馬の鬣《たてがみ》はつかみ難いと申しますが、わたくしのこの恋心も、たとえばどのように上手《じょうず》な運転手が制動機《フェレン》を掛けたとて、きっと停《と》めることはできないと思うのでございます。実のところを申しあげますと、わたくしの愛する男は、床屋の弟子でも、波止場の力持ちでもございません。それはアントゴメリと申す曲馬団のチャリネなのでございます。ご承知の通り、このような小さな曲馬団などというものは、村々の市の日、または葡萄祭や、麦の刈入れ、時には村長のお嬢さんの結婚式だとか、村道の開通式だとか、わけのわからぬ暦《こよみ》に従って、年がら年中、地図にもないような村々を巡って歩い
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